中国では最悪の日、日本では女の日だった端午の節句
――5月の行事を学び直す
■「季節行事」の意味と由来を知る・5月編
■日本では女天下の日だった
こうした中国の習俗が日本に伝えられて、日本風の端午の節句が作られていった。
たとえば、菖蒲が尚武と同音であることから武家の男子の成長を願う儀礼とされるようになった。鍾馗などの魔除けの絵像や人形も、鎧兜に置き換えられていった。また、鯉は滝を登って龍になるという伝説があることから、子どもの立身出世を願って鯉のぼりが上げられるようになった。
しかし、鯉のぼりには別の意味もあったらしい。
神を迎える依り代としての役目である。
端午の節句は田植の季節でもあるので、もともとは田の神を迎えてお祭が行われていた。鯉のぼりの竿はそのための祭具だったのだが、その意味がだんだん忘れられて、鯉の吹き流しを上げるものとなってしまったわけだ。
面白いのは、地域によっては端午の節句に際して「女の家」が行われたことだ。これは、その期間にかぎり女は家事を行わず、男たちに接待されるという儀礼である。
なぜそんなことをするのかというと、女たちは田植に際して早乙女を務めねばならないからだ。早乙女とはただの田植係ではなく、田の神の妻の意味もある。それゆえ、ケガレがないように大切に扱うのである。
男の子の節句といわれる日が、もともとは女の人を大切にする日だったというのは皮肉なことだ。